障害を抱えることは恥ずかしい?
私はパニック障害であることを最初は誰にも話せませんでした。
20年前にパニック障害を抱えるようになったのですが、今でこそ少しずつ認知されてきているものではありますが、当時はおそらくですけど「何それ?」レベルなものだったと思います。
今でも名前は聞いたことがある障害であっても、どんな症状があってどのような感じになるのかということも、こちらもおそらくですが詳しく知っている人は当時ほとんどいなかったと思います。
ですからわざわざ人に話すことは無いなと思っていました。
障害を理解されない日々
しかし、障害であることを話さないことで周りの人たちからの目線が変わってくることに気づきました。
パニック障害になると約束した日に会えなかったり、電車に乗れない、家から出ることさえできないようになりますが、パニック障害であることを言っていないことから、「スケジュールを守れない人」「気分屋」「約束を守れない」という風に見られていくようになり、その目線が怖くなっていって益々家から出ることができなくなりました。
この時が一番つらかったですよ。
理解してもらえないって思いがドンドン募っていきますから。
家族の支え
それでも少しずつ回復に向かうことができたのは家族の支えがあったからです。
パニック障害を抱えることで自分自身を責め続けた日々がありましたが、家族の支えによって感謝する気持ちが芽生えました。
そして、自分がパニック障害を抱えているということを話すことで、周りの人たちの目線を気にしながらも理解してくれる人がいることを知るようになっていきました。
最初は勇気が要ることでしたが、今は正直に話すことのほうが楽だとこのころから気づきました。
パニック障害と脳
人と会う約束をして、当日になると無理となる日々は今でもあります。
パニック障害は窮屈に感じるとダメなんですね。
電車がなぜダメかというと、人がたくさんいることによる窮屈さと、すぐに降りられないという窮屈さを感じると発作が起こってしまう可能性があるのです。
特に駅を通過する特急列車は無理だと思います。
電車に乗って発作をした経験があるので、一度経験すると怖くなります。
これは感情で左右されるのではなく、脳が自分の意思に関係なく反応してしまうのです。
自分を責めずに
家から出る、人と会う、などができなかった日々を過ごすと脳が反応して拒否をしてしまうことがあるのですが、それを理解してもらえないことで人付き合いが怖くなっていくのがパニック障害です。
まだまだ知らない人が多い世の中で、約束を守れない人だと言われてしまうと、自分はダメなんだと責めてしまう人はまだまだたくさんいると思います。
ですが、脳が意思に反して反応しているのですから自分自身を責めずに、素直にパニック障害を受け入れること、パニック障害を人に話していくことで私は随分楽になることができました。
それでも、私のようにしたらいいですよとは言わないです。
それくらいに人と話すことへの勇気を出すことは難しいからです。
まとめ
本当にパニック障害を告白することって勇気がいります。
人からどのように思われるか、どのように説明したらいいか、名称は分かっていても症状自体を理解している人が少ないこともあって、本当に辛いんですよね。
パニック障害の認知が広がることも含めて、視線が怖くない環境づくりができるように取り組んでいきたいと思っています。